無名の庶民の血と汗と涙で築かれた歴史
「候補者をオート三輪の荷台に乗せて、運転をしたよ」。父が生前、語っていた。
貧乏のどん底だったが、選挙の支援のため、ボランティアで選挙カーのドライバーを務めたという。今のように色彩やかなワンボックスカーではない。すべてが手作りの選挙だった。
公明党が結成して43年。初めて国政に進出したのはさらにその前の1956年(昭和31年)の参院選だった。
私はまだ生まれていなかった。その前年の55年(昭和30年)、保守合同で自由民主党が結党。左右に分かれていた社会党も統一して、いわゆる55年体制がスタートした。
時代は戦後10年目。「もはや戦後ではない」との経済白書の言葉が発表されたが、まだまだ国民の生活は豊かではなかった。
大企業、財界優先の自民党。官公労や大手労組の社会党という2大政党の狭間(はざま)で、多くの庶民の声は国政に反映されなかった。
そのような中、私たちの父母の世代が立ち上がった。庶民の声≠国政に届けようと、経済的にも苦しい中、手弁当で3人の参院議員を誕生させた。
特に大阪選挙区では「まさかが実現」と新聞で報道されたように、厳しい戦いを勝ち抜いた。
それから51年。公明党は無名の庶民の血と汗と涙で築かれてきた。議員の私たちは、その歴史を絶対に忘れてはならない。
いよいよ、あす参院選の公示を迎える。今回の戦いに勝つことで、その歴史を受け継ぐことができる。何があっても、勝ち抜いていきたい。
(平成19年7月11日付 公明新聞掲載)
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