衆議院議員 高木陽介
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永田町からのEメール

   
 

 

 

「大衆とともに・・・」の立党の原点、忘れまい

 

 

 月刊誌「潮」の12月号と1月号。ドキュメント企画「平和と文化の大城 池田大作の軌跡」に公明党の結党の経緯がつづられている。

 私も公明党の議員になって14年。しかし、まだまだ知らないことだらけだ。公明党の歴史について改めて教えていただいた。なぜ公明党が結成されたのか。上・下にわたって掲載された最後に、次のように結ばれている。

 「恩師とともに臨んだ、学会初の地方選出陣の日。公明会発足発表の日。公明党結成を決断した日。

 五十有余年。政治家に向ける視点は、一貫して変わらない。

 大衆とともに生きていけるか。

 大衆とともに死んでいけるか。」

 雨の日も、風の日も、また雪の降る日でも応援をしてくださる人たちがいる。皆、無名の庶民だ。自分もそんな無名の庶民の父と母に育てられた。

1967(昭和42)年1月。公明党が衆議院に初挑戦した。両親は選挙の応援でほとんど家に居なかった。小学1年生だった私は、いつも留守番をしていた。そして開票の日。当時、地方は即日開票、都市部は翌日開票だったと思う。

 公明新聞の候補者一覧にテレビの開票速報を見ながら赤えんぴつで花丸を付けるのが、私の仕事だった。最終的に25個の花丸がついた。

 今はその花丸を付けていただく側にいる。公明党議員として、党の歴史はもちろん、その中に刻まれている庶民の歴史、そして創立者の思いを断じて忘れてはならない。

 

 

(平成19年12月19日付 公明新聞掲載)

 
 

   
     
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