会 議 録

第132回 衆 「逓信委員会」 8号
1995/4/13

○高木(陽)委員 放送法の改正ということで、改正項目は余り多くないのですけれども、基本的な、今もずっと各議員の質問でもありましたように表現の自由、さらには人権の問題、大変重要な問題が含まれております。そんな中で、今回の法案の提出の背景、ここら辺のところをちょっと明確にしていきたいなと思うんです。
 まず、法案提出の理由説明においては、「真実でない事項の放送により権利を侵害された者に対する救済措置の改善を図るためこれは文章だけで読みますと、なるほど大切なことだ。ただ、これがどういう論議、どういう過程を経てきたのかというのがあいまいなような感じもするのです。特に、内容の規制にかかわるもので、本来放送機関の自主的な対応、これが原則だと思うんです。ところが、今回は郵政省のイニシアチブというか、そういうのが感じられるような気もしますし、また肝心の当事者、今回の場合には放送事業者であり、さらに権利侵害を受けた市民、視聴者の方、そこら辺のところの徹底的な合意事項というか、そういう論議がなされたのか、こういう疑問がちょっと出ているのです。
 そんな中で、これは民間放送連盟が「月刊 民放」の九五年三月号の「焦点」という、「背景見えない放送法改正」、こういうタイトルでこんな文章が載っています。ちょっと読まさしていただきますと、まず、放送事業者自身が自主的なレベルにおいて必要な体制を整えこれが十分機能しており、したがって現行法の枠内で十分対応が可能なことを物語っていると考えられる。そうであるならば、逆に、現時点での法律改正の有効性・必要性について疑問が生じ、既に一部報道に見られるように、真の目的はほかに存在するとの受けとめ方が出てくるのも不思議ではない。郵政省が”学識者等の要望”を具体的な数値や事例によって明らかにしていないこと、”諸外国の事例”が直ちに改正の理由とならないことなど、改めて問うてみることも必要と思われる。
 加えて、今回の法案提出にはいかにも唐突感がつきまとう。調査会の設置や関係者への意見照会など近年郵政省が法律改正時に通常用いてきた手続きがとられておらず、形式的にせよ利害関係者および第三者を含む議論の場は設定されてこなかった。どのような背景があってここに至ったのかについても、曖味なままである。
 「真の目的」をめぐる一つの有力な見方が、ここはちょっと聞いてくださいね。
 今回の改正が契機となって放送番組関係規定の全面的な見直しへと進むのではないかとするもの。こういうような、ある意味じゃ疑問を呈しているわけであります。これは民間放送連盟の方から出しているものなんで、当事者の方ですよね。こういうような疑問についてどのような見解があるか、ちょっとお聞かせ願いたいと思います。

○江川政府委員 長くなるかもしれませんが、ちょっと御説明をさせていただきたいと存じます。
 今回の放送法の改正に当たりましては、これは先ほどちょっと大臣から申し上げたところでございますが、この訂正放送ができたのは昭和二十五年で、そのときは二チャンネルしかなかったことは御案内のとおりです。今はもう先ほど申しました二百四十七チャンネル、百九十三社が出てきているわけでございます。来年はディジタル放送が五十チャンネルふえると思いますから、三百チャンネルになろうというところです。そういう中で、放送のありようというのがもう全く質的に変化しているということが一つございます。
 二つ目には、国民の権利意識が非常に高まってきておりまして、権利侵害の訴訟という事案で見ましても、この十年間を調べますと、昭和六十年に六件だったものが、平成五年には五十七件になっているというふうにやはり漸増しているわけでございます。
 それからもう一つ、これは重要なことかと思いますが、二十五年から三十年、その当時の、訂正放送の規定を設けた初期のころは、保存するといっても、ビデオがございませんから、台本とい
うんでしょうか原稿といいましょうか、それを保存してやっておくというようなのが中心だったそうで、大変物も時間も空間もかかる。それが、今やビデオでどんどん残せるということで、しかも一月分のというか、一年分のと言ってもいいのですが、それはほとんどこのテーブルぐらいの大きさでもって全部賄えるぐらいの量でカバーされているわけでございます。そういう技術進歩等々もありましたことから、学者先生などもいろいろなところで今の訂正放送の制度については欠陥があるということをいろいろ言われているところでございます。
 そういう中で、我々郵政省が勝手に考えたわけではございませんで、そういう声などを背景にしますと、先ほどちょっと申し上げました四つの段階的なステップがございますが、請求期間、保存期間、それからだれがどうするということがございますが、そういうものをやっていく中で、検討が十分にいかなかったかもしれない部分については残すけれども、一番大事な、直接物にかかわる部分だけを今とりあえずやっていこうというふうにしたわけでございます。そのことは、勝手に我々が考えたのではありませんで、放送事業者、それから学者の先生あるいはそのほかの、弁護士さんとか、何人もの方にいろいろと話を聞かせていただきました。集合ではなくて、一人に聞いたり、こちらに行って聞いたり、そういうことでいろいろやりました。
 そういう中で、今先生が御引用なさいました本の中に書いてあります、調査会をやらなかったのはという質疑がございますが、確かに調査会をやってございませんが、調査会をやるかやらないかは手法の一つでございます。しかし、我々としては、非常に多くの人の意見を聞いだということは、自信を持って言えるところでございます。そういうやり方をして、今回の法改正にたどり着いたというふうに考えているところでございます。

○高木(陽)委員 続いて、先ほども出ていましたが、具体的な訂正放送のあり方というか、形態ですね。局長の方は「相当な方法」というのを、同じ時間帯だとか、同じ時間ということをおっしゃられて、これはまさに重要なことかなという気もするのですね。
 というのは、私も新聞記者出身だったもので、新聞もよく訂正、おわび記事というのが載ります。ただ、多くの場合はでっかく載っても、それで抗議等が来て、または間違いに気がついて直すときは、新聞の片隅に訂正という小さな形で載るというのが大半ですね。余りにも社会的影響が大きい場合は囲みにしたり大きな形で扱うのですけれども、いまだにそういうような傾向があるのではないかなという気がするのですね。
 これは新聞なんですけれども、テレビの場合もよくあるのは、訂正放送という形ではなくても、何となくその放送中に、最後キャスターなりアナウンサーなりが、ただいまの放送時間でどうのこうのと、ちょこちょこっと言って終わらせてしまうみたいな、そういうのがあって、今回の場合は、ちゃんとした訂正放送という形で規定されていますので、そこら辺のところがまあ「相当の方法」、同じ時間またはそういう時間帯ということを意識されたのかなという気がするんです。
 ただこれも、あくまでもその放送事業者、それぞれの放送局の独自の判断というのが原則なのかな、こういう気がするんですが、ここら辺のところはどうでしょうか。

○江川政府委員 放送事業者の自由な原則という状態ではございません。これは放送法四条にはっきりと、条文の言葉で読みますと、放送をした事項が真実でないことが「判明した日から二日以内に、その放送をした放送設備と同等の放送設備により、相当の方法でこ云々と、こう書いてございます。そういう意味では、原理原則というようなものを事業者の自由に任せて立てさせているという形ではございませんで、これだけの枠を法律がきちっと事業者に課しているところでございます。
 その意味では、「その放送をした放送設備と同等の放送設備」という設備の面に着眼しているところでございますが、これは、その放送の広がる範囲と、それから出力の大きさと、みんなそういう技術論で書いているわけでございますし、また、「相当の方法でこというところが、先ほど申しましたように、午後七時のニュースだったら、やはり人が見る同じ時間帯でというふうにやるということで、具体的にはそういうふうにやっているわけでございます。そういうところがここで言う「相当の方法で、」。
 それが新聞だと確かに、確かにと言ってはいけません、新聞ではこういうふうにやって、小さく訂正するというのを間々見かけるところでございますが、ちょっと新聞と比較するのも私どうもできかねるところですが、一応我が放送の世界では、こういう条文のもとに、その時間帯を利用して、先ほど来例を申し上げましたが、訂正放送をしているということで、まあ相当の方法でやっているんではないかなと私たちは評価しているところでございます。

○高木(陽)委員 時間も大分なくなってきましたので、最後の質問というか、考え方をちょっとお伺いしたいなと思っているのですね。というのは、ずっと先ほどからも述べています報道の自由、表現の自由、こういうものと、公正な報道の関係性というか、「真実でない事項」というのはすごく私の場合こだわっていて、真実って一体何だろうという、これはすごく難しい問題だなと思うんですね。
 実際問題、私も記者をずっとやっていた中で思ったのは、真実と事実というのはやはり違うなと。例えば、ここにコップがあります。例えば目の不自由な人がこのコップをさわります。これは冷たいなと感じる。これも事実ですよね。でもこれは全部をあらわしているわけじゃおりません。
 新聞だけじゃなくて、放送記者、いわゆる放送における報道番組等もそうなんですけれども、ある側面はあらわしていると思うのです。ただ、そういうような中で、では十取材したから十分部報道しているかというとそうではありません。自分自身の体験からいっても、十取材したらその中の象徴的な一を取り上げます。その一を取り上げたときに、それがもうそこで主観が入っているわけですね。そうなりますと、公正な報道というのは一体なんだろう、こういう疑問がずっとあって、あの椿発言以来この一年半、自分も考えてまいりました。
 そんな中で今回、「真実でない事項の放送」という、こういう規定の中で、一体真実というのはだれがわかるんだとか、放送事業者に訴えた、請求をした、放送事業者は、いやこれは真実なんですと。いろんな調査はするのでしょうけれども、客観的な真実というのはなかなかだれもが証明できないというのが、報道の現場にいても、またはそれを見る側、聞く側、いわゆる市民の側においても、それはなかなかわからないというのが現実ではないかな。そんな中でも、でもやはりここで言われているその基本的な人権を守っていかなきゃいけないというのは大原則ですから、その上でいろいろな方法を駆使しながら一つ出てきた今回の期間延長だとか、そういったでき得る限りの保護のあり方だと思うんですね。
 そういった中で、今後さらに、先ほどもちょっと申し上げたマルチメディア化していく、いろいろ多チャンネル化していく、本当にメディアがふえていく。そして放送局の中においても報道局があり、情報局というのがあるのかどうかわかりませんけれども、例えば、ワイドショーといわゆるニュースと違うメンバーが取材をする。いろんな形で本当にごちゃごちゃになってきているというのが今の現実じゃないかと思うんです。
 そんな中で、今後の、いわゆる人権を守っていく、また報道、表現の自由を守っていく、そして公正な報道というのはどういうふうにしてやっていってもらうか、ここら辺のところ、総合的ですごく抽象的なことなんですけれども、大臣にお伺いして終わりたいと思います。

○楠田政府委員 視聴者と放送に関する懇談会の中間報告というのはまだ出ておりません。
 ただ、この懇談会の中で、放送と人権の問題であるとか、あるいは青少年保護であるとか、あるいは放送と政治の問題だとか、いろいろなことをやっておるわけです。いずれ報告を出すわけですけれども、そういう中で、今のような形で、番組審議会とかそういうようなものをいろいろやっておりますが、それと違った形の方法もあるのではないかという意見と、それは必要ではないという意見と、両方ございます。したがいまして、どういうような形でこれから報告が出るかわかりませんが、その点だけは申し上げておきたいと思います。
 いずれにしましても、この懇談会でいろいろな多方面の御意見を聞きながら、こういうような問題について対処していきたい、こういうふうに思っておるわけであります。

○氏家参考人 この問題は、結局郵政省がどうお考えになるかということが最後になると思いますが、私どもといたしましては、私どもの自浄努力というものを考えていただきまして、第三者機関という形にならないことを心から期待するものでございます。

○高木(陽)委員 さらに、このTBS問題が起きてから、いろいろな意見が皆さんの中から出ておりまして、特に、与党三党が二十六日の政策担当者会議において、報道のあり方を検討すると。もちろん、報道機関に対しても、いろいろな批判、これはもうどんどん報道機関の方々も受け入れていただかなければいけないのですけれども、一番最初に申し上げました国会、特に与党ですから、政策決定にかなりの影響力を持つ、こういった政策担当者の方々が、例えば番組や記事の内容、選挙情勢報道などマスコミによる世論操作の有無、取材される側のプライバシーの保護などに関し、今国会中に与党見解など何らかの形で意見集約する方針、これはかなりプレッシャーになる、そんな気もしないではないです。だからといって、意見を言ってはいけないということはないのです。ただ、そこら辺のところも、与党の方も慎重にやっていただきたいなと思っています。そういった中で、野中幹事長代理なんかは、それはちょっと、まあブレーキをかけるというかそういった話も聞きましたので、そこら辺のところは与党の見識にも期待をしたい、そのようにも思うのです。
 そのような中で、一方的に権力側だけがセーブしなければいけないということではなくて、やはり報道側も、セーブしていくというか、それなりに自律をしていただきたい。
 そこで、立教大学の服部孝章教授の、マスコミ法制論、最近よくコメントで出ておられますが、「人権と報道を考える」という「法学セミナー」に載っていた記事をちょっと紹介させていただきたいのです。
    オンブズマンと報道の自由
  日本に限らず、米国でもスウェーデンでも、ジャーナリストには共通の病がある。それは自分たちへの批判に対してアレルギーがある、ということだ。ただ、スウェーデンには二百年前に、憲法の一部として「報道の自由」が確立し、ジャーナリストは責任を自覚している。もし「報道の自由」を行使する時、思い上がりがあれば、読者の信頼を失う。結果として、この「報道の自由」を法律で規制しようという誘惑を政治家に持たせる。そんな危険を冒すより、報道機関が、自主的な審査機関を作った方が危険が少ない。
こういう指摘があるわけです。
 番組調査会ですかとか、いろいろとあるのですけれども、この際、オンブズマンの制度みたいな形で民放連として検討する余地があるのかどうか、それをお聞かせ願いたいと思います。

○氏家参考人 先生のおっしゃること、それから今読み上げていただいたことは、十分に理解できることでございます。
 私どもといたしましては、検討する余地は十分にあると考えております。

○高木(陽)委員 NHKの会長の方も、このオンブズマンのことに関してお願いいたします。

○川口参考人 現在私どもがとっております番組審議会というのは、そのオンブズマン制度の一つの形だと思っています。中央番組審議会が毎月行われておりますが、これはぜひ中身を聞いていただきたいと思うぐらいに鋭い批判、あるいは建設的な御意見等々が寄せられていまして、その番組審議会をできるだけ健全に活発に育てたいというふうに私は思っております。

○高木(陽)委員 理想論を言えば、それぞれの局が社内でしっかりとする。TBSも、チャンスが何回かあった中で、例えば昨年十月の日テレの報道から二カ月半の社内調査があった、でもその期間にもいろいろなことができたはずなのに、結局それが、三月の十一日の会見のときに、結果的にはうそをついてしまったという。そこら辺のところで、視聴者、国民のマスコミに対する不信感がやはり増幅していると思うのです。
 そういった中で、本当は社内できっちりできればいいのが、ここに来て、やはり第三者という形よりもオンブズマンで検討していただくのがいいのかな、こういうふうに意見を述べさせていただきたいと思います。
 あと、もう時間も大分なくなってきましたので、一つ、これは、民放連、NHK含めて各局、きょうも放送をずっと中継されておりますので、考えていただきたいのは、真実は何ぞやということ。今回のTBS問題で、特にTBSの社内調査が、事実はありません、見た記憶がないという報告の中で、その後、早川公判の供述調書、またはその前の冒陳等々で明らかになってくる。ただこれはあくまでも検察側の供述調書であって、この間読まれた三通ですか、供述調書の中をいろいろと検討してみますと、例えばティ・ビー・エス・ビジョンのディレクターは、早川たちが来たときに五人で対応したという、一方、総合プロデューサーや金曜日担当のプロデューサーは二人で対応したという、もうここでディテールの違いがあるわけですね。
 ところが、何か検察が言うと、公の機関が言うと、これがもう真実なのじゃないか、にしきの御旗を立てて、TBSどうのこうの、別にTBSを守るつもりはないのですけれども、そういった報道のあり方。私も実際に議員になる前、記者をやっておりましたので、警察が発表すると、何かそれがいかにも本当だということで載っけてしまうという、ここら辺のところもしっかりと検討を重ねていただきたいなと思います。
 時間がもう来ましたので、最後に一つだけ。
 これはもう皆さん、特に会長なんかはいつもいつも見られておると思います。民放連の「放送ハンドブック」ですか、ここに書いてあること、これだけちょっと紹介させていただいて、質問を終わりたいと思います。
 基本的人権の一つとして、憲法二一条が保障する表現の自由は、他の人権、例えば経済的自由権などに比べ、優位にあるとされている。これは、民主主義社会の成立には、表現の自由の保障が不可欠と考えられるからにほかならない。
  表現の自由の重要性を考えれば、その担い手としての放送の責任はきわめて大きいといわなければならない。表現の自由を正しく行使することが、放送に課せられた責任といえよう。
その後、マスメディアに対する法的規制の動きが表面化したことは、過去に一度ならずある。公権力に規制・干渉の口実を与えないためには、自律、つまり自らの手で自らを律する姿勢が必要といえる。
 以上で終わります。


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