連載1 議員特権を生み出した”差別”

「議員特権」を生み出した“差別”


バッジを見るなり

 「そこはダメダメ。車はあっちへ止めて」。

 国会の職員でもある衛士(国会内の警備を担当。紺色の制服を着て、一見お巡りさんみたい)がコワーイ顔して注意してきた。

 私が衆院選に初当選をした平成5年夏のことだ。
 
 国会議員は国会議事堂の裏にある議員会館の一部屋(40平方メートル)を事務所として提供される。当選したばかりの私は割り当てられた部屋に備品を運ぶために、荷物を積んだ車を会館の裏につけた。その瞬間、右の衛士の言葉が飛んできた。
 
 
 指示通り車を止め、荷物を抱えて会館に入ろうとすると、衛士さんは「記章(バッジ)は?」と一言。顔はさらにコワクなっている。
 
 会館や国会内に入るときは身分証明書の代わりにバッジをつけなければならない。議員の他、秘書や官僚、国会職員、記者などそれぞれ違ったバッジをつけている。
 
  私はもらったばかりの議員バッジを襟につけた。すると、コワイ顔の衛士さんは「あっ失礼しました。車はこちらで結構です」。直立不動で敬礼。顔も急につくり笑い。当時33歳の私を、議員というよりもどこかの議員の秘書と思ったのだろう。
 
 しかし、この態度の変わりようは、いったい何なのか。議員とそれ以外の人の“差別”。「国会って変な所だなぁ」というのが第一印象だった。
 
 9月の総選挙で大量の新人議員が誕生した。自民党の新人は「小泉チルドレン」と呼ばれている。彼らもさまざまな分野から議員になったが、それぞれ、どんな印象をもって国会へ足を踏み入れただろうか。
 
 私は毎日新聞で8年間、記者を務めた。社会部時代、何度か国会に取材に来たが、当選して改めて議員と他の人を“差別”する風潮を感じた。それが「議員特権」を生み出し、議員自らが「当たり前」と思ってしまってきたのではないか。
 
 今、議員互助年金の見直しが各党の間で行われている。まず必要なのは、議員である前に一国民としての素朴な感覚ではないだろうか。
 
 2期目の選挙(平成8年)で落選し、3年8ヶ月の浪人時代を送った。現在4期目。政界に飛び込んで12年目になるが、最初に感じた新鮮な感覚を忘れずにいたい。
 
 これから隔週月曜日に連載することになりました。タイトル通り、型にはまらず書いていきますので、よろしくお願いします。



(平成17年10月18日付 夕刊フジより転載)

2017年02月16日